世の中には抑えなければいけないポイントがある(初めてのバイト編)
最近新しい仕事を始めた。
これがなかなかハードだが、実入りは悪くないため、しばらくの間はこれで行こうか。などと考えている。
新しい職場には、新しい人間関係が必然だ。
新しい環境でうまくやっていく秘訣を今回は皆さんにお教えしよう。(だから、なんかものすごく偉そうである。とっちめてやりたい)
ポイントは4つ。
1、言われたことは実行すること(つまり言われないことはやらないこと)
2、わからなかったらわかるまでしつこく聞くこと
3、返事はちょっと過剰なくらい大きく行うこと
4、できないことは、手伝ってもらうこと
以上である。特にバイトを新しく始める方はぜひこれを実践してみるとよい。
え、これだけですか?
そういう人がいたら、圧倒的に要注意である。
いままで失敗をしてきていないならばそれでもかまわない。しかし、いろいろとうまくいかなかった経験のある方はこれを徹底してみてほしい。ちょっとやそっとではない”劇的”に変わるはずである。
今のところ、バイトも含めて、5か所くらいのところで働いているが先輩との関係はたいていの場合良好だった。それはこれを徹底しているからである。
今まで見てきて(自分も含め)怒られる点は明らかに上の4つのどれかを破ったときである。逆にこれを守っていればそうそう問題は起きない。本当にこれが下で働くときのエッセンスであり、逆にこれ以上は必要ないのだ。
もちろん。ヘッドハンティング等、すでに実行部隊として上に立たなくてはいけないときはこの限りではない。慣れてきたな~とか、後輩ができてきたな~とか感じ始めたら、そろそろ自分で動き始めなくてはいけない。その時の対処はまた今度(予定は未定)
今回の記事から得るべき教訓は、人に偉そうなこという前にまずはお前がしっかり働け、そういうことである。
お久しぶりです、
仕事のメールタイトルには気をつけなさい。という記事をよんだ。別段そのことについて掘り下げるつもりもないし、似たようなマナー系の記事は無数にあるので適当に参照されたい。
その中で、「タイトルは簡潔に、かつ、ある程度内容がわかるようなものを」とのことなので、どんな内容なのか、あえてさっぱりわからないタイトルをつけた。
久しぶりなのは、定期購読していただいている読者ならばおわかりだろう。(そんな読者がいないことを私はとっくにわかっているわけだが)
さて、今回は鍋の話をしようと思う。
なべ、である。皆さんもお持ちだろう。
いろいろ諸事情あって新生活が始まった。新しい生活の場ができた。
そんなおり、皆さまなら調理器具は何を持っていくだろうか。ここでは最小限でという制約をつけよう。
私は、フライパンと、ざると、鍋を持っていくこととした。
切る系は、もうこの際いらない。やさいはちぎればよろしい。肉も同様。
炊飯器もこの際いらない。鍋で炊けばよろしい。
その他いろいろ、鑑みて、この3種の神器をキッチンにおける守り神として鎮座(実際には使い倒すわけだが)させることになった。
ここまできて、私のブログに精通している聡明な読者なら私がなにを言いたいかわかっただろう。(私はまだいまいちわかっていないので、もし分かった。と思い、かつそれが見事的中したかたは完全に私の意思を超えている。今後はこのブログをあなたが継続していくのがよろしい)
つまり、世の中、大は小を兼ねるのである。
私の鍋はニトリで購入した980円の20cmのものだ。これ一つあれば、炊飯器などいらない。何でもできる。ラーメンも作れるし、パスタもできる。ごはんも炊けるし(ちなみに予測変換では猛氏である。かっこいいのでそちらを採用しようかと思ったほどだ)カレーだって、シチューだって、肉じゃがだって作れる。なんでもござれである。にもかかわらず、世の中にはさまざまな調理器具があふれ、いろいろな電気的介入を受けている。
なんとも不思議なことだ。そう感じる。米を炊くのを一つ例にとっても、数万する炊飯器よりも980円の鍋で炊いたほうがうまいと感じる。
では、この値段の違いはなんなのか。
利便性である。これは真理だと思う。
我々は、品質(クオリティー)ではなく、利便性に最もお金をかけるのだ。
例えば、食器洗い機。これも100円のスポンジと、100円の洗剤があればより高いクオリティーで食器を洗うことができる。妙な洗い残しや、頑固な油汚れだって、時間と労力をかければ、なんということはない。しかし導入しているご家庭は多い。楽だからだ。多少の諦めと、ちょっとの気配りで、とても楽できる。そのために数万、数十万かけるのだ。
しかし、利便性というのは最終的な目的足りえないと思う。
食器をどれだけ早く楽に洗えても、盛り付ける料理がなければ意味がない。
どれだけ調理が簡単で、素早くできても、おいしくなければ意味がない。
意味がない、などど簡単に切り捨てるほど私はえらくない。
なので、そんなことはないと、一応とってつけておく。
我々が目指す最終地点がなんなのか、きわめて興味深い。
手段はあくまで、手段なのだ。なんのために今行動しているのか、今一度立ち止まってはどうか。
などどえらそうなことを言うほど私はうまいこと生きてない。
このブログについて 2回目
を、書こうと思っていた。
最近ブログにちゃんとした名前(についてはもしかしたら今後詳しく書くとか書かないとか)をつけてやったから、改めて自分のスタンスであるとか、今後どんな感じでメディアミックスを行っていくとか(行っていかないとか)書こうと思って意気揚々と"はてなブログ"と某有名サーチエンジンで検索し、トップに来ていたはてなブログの門を叩いた。
そこで唖然とした。
注目のブログなのかなんなのか詳しいことは知らない。書いて眺めるのが私にとってブログだから基本的には注目の!とかなっていても読まない。
そうは言っても目につく。
「テンガのエナジードリンク「メンズチャージ」を飲んでみたのでムスコから感想を一言。」
がトップのタイトルである。
一瞬でブログを書く気力を奪われた。
3秒くらい無を感じた。
別にこれの作者をバカにしているわけでも、内容がものすごく不快だったわけでもない(ちゃっかり読んではいる)。
何に問題があったのか分かりやすく説明するならば、コンビニに消ゴムを買いにいったら店の入り口の普段だったら一番くじでも売っている辺りが丸々成人コーナになってしまった、みたいな感じだろうか。(ちょっと言い過ぎかな)
これ人によって違うのだろうか?
ちゃんとなにかしらのアルゴリズムに則って選出された結果、私の元にレコメンドされたのならば、普段の行いを改めなくてはいけないと思う。具体的には"早漏 対策"であるとか"ハゲ 対策"でるとかの検索を控えるようにしよう(もしブログ内容で推薦されている場合には完全に墓穴を掘っているが)と思う。
今日の内容が面白くない?(誰かそろそろ見てくれているだろうという期待から疑問形)
レコメンダーに文句を言って下さい。
謹賀新年。お喜びのことと存じます
おはようから、おやすみまで、あなたの肘からこんにちは。
タグチでございます。
さて、新年みなさまいかがお過ごしでしょうか。
寝てばっかりいると、一日について一年分老けるそうです。ご自愛ください。
さて、今回は何か話したいことがございました。まさか、私のようなよくわからんブロガーが新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたしますでは、ご愛読いただいている(重ね重ねいるとは思っていませんが)みなさまが納得できない。無論私も納得できない。いかがしよう。という話なる。
そんなことは重々承知で、しっかりと社会と政治と世界平和実現のために今後100年にわたってサイテーションされ続けることになるブログテーマが思い浮かんだはずなのだが、あのひらめきはどこに行った。責任者はどこか。今後100年を返せ。今すぐにだ。
忘れてしまったものは仕方がない。これは諦めて前を見据えよう。
前を向くものこそが真実をつかめる。(いい言葉をひたすら並べていくシリーズその1)
下を向いたっていいじゃないか。そこにお金が落ちているかもしれない(その2)
さあ、一歩踏み出そう。ただ、そこに何も(うんことか)ないことをしっかりと確認してくれたまえ。(その3)
石橋をたたいて渡るのも一向に構わないが、最近の建築はよくできている。たまには信用してみてはどうだろう(その4)
ああ、さっきの人ね。あれ、知り合いの総理大臣。気さくでいいやつなんだけど、ちょっと現実見すぎかなって注意してたとこ。(その5)
人を見下すのもかまわないし、馬鹿にしてても別にいいけど、されないように気を付けてね(その6)
ああ、さっきの人ね。あれ、俺の上司。次にリストラがあるならお前だろうって、、、泣いてもいいかな(番外編)
新年あけましておめでとう。今年もよろしく。今年で、全部やりきるぐらいの気持ちで日々しっかり生き抜いてな。(その7)
そういえば、お前、子供出来たんだって?おめでとう。その子のためにも、俺たちの世代でできることは今のうちにやってあげないとな。(その8)
そんなにいいの?もらっちゃって?ありがとう。束になってるじゃん。本当にいいの?
ってなに。ナイフはしまわないと恐喝?もってるけど使わないのが鷹でしょ。(その9)
あっ年賀状出し忘れた。でもどうせ出す相手もいないか。いやいたか。たまには親に宛てるってのもいいものかな。(その10)
正直言ってこんな感じのブログにするつもりは毛頭ございませんでした。でも、どんな内容でも、ちゃんと行動した結果を残すというのが、やっぱり大事なんじゃないかな(終わり)
さあ、お隣には先客がいる。
切羽が詰まっている。この切羽という言葉は(以下略)
しかし、切羽が詰まるとどうやらブログの更新頻度が上がる。
忙しくなるとお掃除が捗る。みたいな話とよく似ている。
その話と決定的に違うのは、捗ったところで、別に生活が潤わないということだろうか。(じゃあ書くなよ、という話は結構だ。単なるあまのじゃくである。可愛げがある坊やだな~くらいに思っていてほしい。)
さて、先客がいたのは他でもない(他でもないという言葉はものすごくかっこいいのだけれど、誰も他の選択肢を考えていないといつも突っ込みを入れたくなる。自分のブログだから、だれも文句は言わないだろう。誰もほかの選択肢など考えていないッ)トイレである。
ずうずうしくもウォシュレット機能のついている所を占領している。
まあそこまでは別段目くじらを立てるところではない。この時間(23時14分現在)3つあるトイレの個室が(おそらく今まで明言したことがないので改めて言っておくと私は男である。なので、小便をするときに用いる小便器も別に用意されているトイレの話である。)埋まることはおそらく皆無だろう。それこそ切羽詰まらせて叫び声を我慢するものはいない。ゆっくり使っていただいてまったくもって問題ない。
問題なのは、個室なのをいいことに足でリズムをとり、時折裏声も交えながら一人カラオケを実施している点だ。
おまえ、こんな時間に何をしている。
はやく出ろ。そして家に帰ってやれ!
ここは君の歌声を披露するところではない。うんこを催すところだ。
歌声を披露する会を催すまえに、便意をなんとかしたまえ。
なんとなく、聞いてしまっていることに罪悪感を覚えてしまい、いまいち集中できない。いや、私のトイレにおける集中力の高さは並大抵のものではないので、おそらく一般の人からしたら相当に集中できている状況だとは思うのだが。(こんなしょうもない自慢を公共のブログに乗せるために今私は熱心に筆をとっている。)
集中を切らさないよう、何とかかんとか精神と向き合い、そろそろ宇宙が見えてきたあたりで、私のこの大便器に対する用件は終わってしまった。
ふう。すっきりした。
が、まだ歌っている。しかもノリノリである。
先ほどの音量が13であったならば、現在は17というところだろうか。(うちのテレビ設定基準)
早く出なさい。私でなければ、便と真正面から向き合えなくなってしまうよ。
そしてあなたが歌っているのは何語なんだい?またもやもやの話をしなくてならなくなるよ。
処理速度低下
本日はお日柄もよく、見事なクリスマスでした。
どこら辺が?ピザ屋は盛況で、私も御多分に漏れず、稼がせていただいたという点でしょうか。彼女ときゃっきゃうふふな休日を過ごせなかったという点では極めて遺憾なクリスマスでしたが。(このきゃっきゃうふふという言葉はものすごく語感がいい。ついつい使いたがるのだが、自分自身がきゃきゃうふふな境遇に基本いないためせっかくのきゃっきゃうふふが箪笥の肥やしになってしまっている。今回はきわめてナチュラルに使えて大変満足だ。)
さて、まじめな話題だ。(いきなりどうした。)
みなさんも一度は感じたことがあると思うのだが、今日は本当にそれが顕著だった。
そう、どうにもこうにも歌詞が思い出せなくて、なんだか1番から抜け出せなくなってしまったり、2番に行かないでいきなり終わってしまったりする、あのもやもやだ。
それ、とか、あのとか曖昧模糊としていて極めて申し訳ない限りなのだが、そもそも伝えたい対象がもやもやとして曖昧模糊としているものであるため、今回に関してはどうかお許しいただきたい。
いやはや本当に出てこなくてびっくりした。
しかもサビがでてこなかったので非常に淡白な歌になってしまっていた。
帰ってから彼女で聴いてみて、そうそうこれこれまさにまさに。という圧倒的な納得感にびっくりしてしまった。
そんなときにふと思ったのだ。
あのもやもや。なんともこう、やはり言葉では言い表せないもやもやこそが、われわれの最終到達地点たり得るのではないだろうかと。
ん?こいつはいきなり何を言い出したのかと驚いている読者もすくなからずいることだと思う。あるいは読者がいないことだろうと思う。
しかし、ぜひもう少しだけ付き合っていただきたい。
例の化けて出る物語のあららさんは、同級生の少女にたいしてこのように言及していた。
「神々の言語でなければ表現できない。」
我々は、たいていのものに名前を付けている。
しかし、脳みそを使う過程に生まれたあのもやもや。これはやはりどうも形容できない。できるならばもやもやでない。
あのもやもやがすなわち神々の言語なのではないかと少し考えた。
抽象的の極致があのもやもやであり、あのもやもやですべての思考を行い、もやもやでコミュニケーションをとり、もやもやで今日の晩御飯はなんだろうと思いを巡らす。それこそが神なのではないだろうか。と。
すべての発想の前にはあのもやもやが付きまとうように思う。
そして、そのもやもやを言語化し、何らかの形で表に出さなくては、我々は理解を得ることができない。
もやもやをそのまま理解できれば、様々な思考の処理速度は上昇するのではないだろうか。我々の思考は英語をわざわざ日本語に直さなければ理解のできない中学生のような処理速度なのではないだろうか。
と、とりとめもなく書いてみたが、文章中のもやもやの出現回数に驚く。
計13回。もやもやと言いたかっただけなのではないだろうか。とそう言われたら、そこに反論の余地はない。
チョコ好きのためのチョコクロワッサン、お前は明らかに間違っている。
更新からはや数時間、更新を首を長くして待っている読者のために、さっくり軽い腰を上げようと思う。
軽快なフットワークである。軽快すぎる。
これには理由がある。こんなに私のフットワークが軽いのは異常だ、明らかにおかしい。そういうインパクトのある商品に出合ってしまった。
何を隠そう、「チョコ好きのためのチョコクロワッサン」である。(タイトルにあっては隠そうもくそもへったくれもない。)
信じられない思いでいっぱいである。
未だにこの現状に対して私の心が追い付いていない。
なんだこれは。
私がこの商品の紹介をするとこうだ。
「食感がコッペパンのような、ラグビーボールを潰したような形のパンに、長さ10cm、幅4cm、高さ2cm!!の板チョコが埋め込まれているものです」
長さ10cm、幅4cm、高さ2cm!!!
これは明らかにバレンタインのチョコを作成する目的で売られているあの分厚い板チョコの一部である。
パンにいれるようのチョコでは明らかにない。チョコを食べたときに出る音からしておかしい。パキッ。ではないバゴッである。
よくあるチョコパンだと思って甘く見ていた。パンがぬまっ(パンを食べたときの音)からのチョコにゅむっ("柔らかいチョコ"を食べたときの音)位を私は求めていた。明らかに想像を上回るチョコの主張。なんなら少し、聞くのもめんどくさい都で行われた青年の主張大会の厚い空気を思い出した。
はっきり言ってミスマッチ。
チョコが固すぎて、パンがついてこない。
板チョコとコッペパンを交互に食べればこんな感じであろう。
ちなみにクロ○ッサンという単語が、本編に一回しか(しかも製品名の部分)出てこないということに対してのご指摘は不要である。パン屋以外で購入するクロワッ○ンはおおうにしてク○ワッサンではない(おそらく層が少な過ぎて感じれない)。その事に関して今さらグチグチと文句を垂れるような愚行は避けるべきだと考えるからである。
閑話休題。
いや、わかってはいる。これは完全に私が悪い。これに関してもご指摘は不要だ。完全に理解をしているつもりである。
タイトルに「チョコ好きのためのチョコクロワッサン」とあるにもかかわらず、自分のチョコ好き具合をろくに考えもせず、レジへと向かってしまったが事がすべての元凶であり、諸悪の根元だ。
浅はかだった。まあチョコ好きな方かな~などと、あまっちょろい考えで手に取った自分が恥ずかしい。
レベルで言ったら私なんてせいぜいが22。
進化の第一段階を迎えているかいないかである。
今回私が得るべき教訓は、自分の事を過大評価しない。チョコは必ず厚みを確認する(迂闊に飛び込むと歯をおる可能性があるというか危なかった。)。万が一「~好きの」と冠する商品を作る場合は、レベル表示を行う。
万が一購入される際は、今一度自分のレベル(画面右下に表示されています)をご確認下さい。
では。