前言撤回

タナカがおとどけする、ゆるふわ系徒然ブログ

どういうことだろう...

どうも,このブログを開いてから,早数か月.

更新頻度は極めて遅々としてカタツムリのごとき有馬様ですが,わたくしの人生はムカデくらいの速度でしっかりと進行しています.(とっさに思いついたものだが,ムカデというたとえがいろんな意味で正しいので参る)

さて,今回は久々の更新だから,何か書きたいテーマをばっちり用意しているに違いないと思ったそこのあなた,不正解です.(そこにいるあなたですよ,と言いたいだけ)

なんかしょうもない創作で,適当にお茶を濁そうかと思ったのですが(要求されてもいないのにお茶を濁してまで書く必要があるのかという疑問にはお答えしない),今,アクセス履歴を見ていたら,なんと今月に入って51件ものアクセスがあったらしい.

うわすくなっ,と思ったわけではもちろんありません.

僕が書いているブログの内容からしてみたら,そんな多くの方々(いや一人が更新を待ち望んで51回来てくださった可能性も否定できないが)に見てもらえるのは極めて光栄なことであります.

基本的には備忘録というか,ネタ帳というか,メモというか適当に書いているのであんまり人を想定していないのですが(うそつくな),さすがに見てもらっているならまあ書こうかなあなんて思った次第です.

今回は告知です.

次回から,おいしいご飯の炊き方+炊きこみご飯の作り方 シリーズを始めたいと思います.

やはり,こういうブログで簡単にアクセスを稼ぐには料理物で攻めるしか道はない,そう思うのですがいかがでしょう?

えっ求めてない?

まあ,そんなこと言わないでお付き合いください.

ごはんがおいしかったら,大抵のことはうまくいくんで.米の炊き方で人生変わりますよほんと(保証はもちろんありませんが)

今回は特段大したことも言っていませんが,なんかこう予約というか,リザーブというかブッキングというかまあなんかそんな感じで,

 

 

私って洋楽しか聞かないから、、、って何なの。

お久しぶりです。激動の2月も越え3月も半ばに入りやっといろいろ落ち着いてきまして、こちらの執筆活動も本格的に再開させていきたいなと考えている所存であります。(そんな大層なものでは毛頭ないが)

さて、今回は邦楽を聴きながらふと頭に浮かんだ、洋楽しか聞かない魔人と私との対決の模様をお届けしたいなと思います。

 最後のオチに持ってくるまでもありません。初めに書いておきますがこれは一種のコンプレックスでしょう。認めます。おそらく洋楽しか聞かない派の人間は邦楽しか聞かない人間に対して大した思いは持っていらっしゃらないことと思います。これは前提としてわかっています。

しかし、それでも自分の中にいる魔人と戦いたい。そんなものわざわざブログに上げるなと言うなら、そんなもの読むなとあえて先手を打ってから書かせていただく。(そこまで回りくどい理由は一体なんなのか自分でもわかりません。)

さて、邦楽と洋楽の間にに横たわる差異についてい今さらながらご紹介させていただきましょう。まずパッケージの一番上には効能と大きく書いてあるはずです。そこをとりあえずは読みましょう。

 

1. 歌詞がわかる。(わからないもの、ないものを除く)

これに関して反論できる日本人は人口の5分(私調べ)です。そもそも歌というものには歌詞という素晴らしい文化があり、そこには英知が詰まっているわけです。それを紐解き自分に向け解釈を深め、味わうことこそが王道。とりあえずよくわからないけど歌っていいよねという軟弱な姿勢を見せたくない。もちろん、そういう気持ちはわかります。本当にいいものは、言語を超え、文化を超え、時代を超えます。そういった作品とも呼べるものに出会えたのならば、そこで歌詞がわかるだの、聞き取りづらいだのなんだのと、のたまうつもりはありません。しかし、普段から日常的に聴いている音楽のなかでそんな曲は100に1ついや1,000に一つ。私、洋楽しか聞かないから、、、というほどの音楽好きが常にそういう曲と出会っているとはとても思えない。ならば、音楽を聴いている間にメロディー以外の文字情報がわかっている分、歌詞がわかることはメリットであると言えそうです。歌詞カードを見ればわかるという反論は受け付けません。歌詞カードを見てしまった段階で、それは音楽+文学です。

 

2.  親しみやすい (親しみにくいもの、わからないものは除く)

は?と思われた方。いえ、これは大事な要素です。やはり文化には色があります。温泉に入り、浴衣を着て、畳の上で湯呑片手にお茶をすする我々にはそれ相応の色に染まっていると考えるのが妥当というものでしょう。靴のまま家にはいり、ポテチ片手にピザを頼んでコメディを見ながらコーラを流し込むということが当たり前の文化で作られた音楽との間にはさすがに多少の壁がある。いや、この壁を乗り越えることにこそ意味があるという方には何も言えません。苦労をすることにこそ価値があるというのならば確かにそれは間違いではないでしょう。しかし、文化は文化、わざわざ大衆に逆らう労力を音楽を聴くときにまでかけるというのはいささか疲れるのでは、と思います。

 

3. よく耳にする (よく流れていない、わからないものは除く)

 これは前項の親しみやすいにも通づるところがありますが、つまりはそういうことです。人間には慣れというすばらしい性質があり、何回もおなじことや物を使ったりきいたりするとそれに対しての親和性が高くなります。つまり、日本にいる限り耳にする音楽が邦楽であることを考えると、きわめて親和性が高く、なじみやすく、落ち着くという効能があることは容易に想像ができます。

以上いろいろあげてきました。いい加減にしろ、文字数を確認してから記事をかけ、等々怒られそうなので、そろそろやめにしたいと思います。

 

さてまとめです。つまり私が言いたかったことは、洋楽<邦楽じゃね?

ということでは断じてありません。洋楽結構。最高にクールな曲がたくさんあることもわかっています。そうではなく、どちらか一方しか理解しようとしない狭い心では、わかるものもわからなくなり、見えるものも見えなくなるぞ。と、そういいたいわけです。

ふう。手が疲れました。

今日は終わりにします。おやすみなさい。枕元でBUMPかけとこ、、、

世の中には抑えなければいけないポイントがある(初めてのバイト編)

最近新しい仕事を始めた。

これがなかなかハードだが、実入りは悪くないため、しばらくの間はこれで行こうか。などと考えている。

新しい職場には、新しい人間関係が必然だ。

新しい環境でうまくやっていく秘訣を今回は皆さんにお教えしよう。(だから、なんかものすごく偉そうである。とっちめてやりたい)

ポイントは4つ。

 

1、言われたことは実行すること(つまり言われないことはやらないこと)

2、わからなかったらわかるまでしつこく聞くこと

3、返事はちょっと過剰なくらい大きく行うこと

4、できないことは、手伝ってもらうこと

 

以上である。特にバイトを新しく始める方はぜひこれを実践してみるとよい。

え、これだけですか?

そういう人がいたら、圧倒的に要注意である。

いままで失敗をしてきていないならばそれでもかまわない。しかし、いろいろとうまくいかなかった経験のある方はこれを徹底してみてほしい。ちょっとやそっとではない”劇的”に変わるはずである。

今のところ、バイトも含めて、5か所くらいのところで働いているが先輩との関係はたいていの場合良好だった。それはこれを徹底しているからである。

今まで見てきて(自分も含め)怒られる点は明らかに上の4つのどれかを破ったときである。逆にこれを守っていればそうそう問題は起きない。本当にこれが下で働くときのエッセンスであり、逆にこれ以上は必要ないのだ。

もちろん。ヘッドハンティング等、すでに実行部隊として上に立たなくてはいけないときはこの限りではない。慣れてきたな~とか、後輩ができてきたな~とか感じ始めたら、そろそろ自分で動き始めなくてはいけない。その時の対処はまた今度(予定は未定)

 

今回の記事から得るべき教訓は、人に偉そうなこという前にまずはお前がしっかり働け、そういうことである。

お久しぶりです、

仕事のメールタイトルには気をつけなさい。という記事をよんだ。別段そのことについて掘り下げるつもりもないし、似たようなマナー系の記事は無数にあるので適当に参照されたい。

その中で、「タイトルは簡潔に、かつ、ある程度内容がわかるようなものを」とのことなので、どんな内容なのか、あえてさっぱりわからないタイトルをつけた。

久しぶりなのは、定期購読していただいている読者ならばおわかりだろう。(そんな読者がいないことを私はとっくにわかっているわけだが)

 さて、今回は鍋の話をしようと思う。

なべ、である。皆さんもお持ちだろう。

いろいろ諸事情あって新生活が始まった。新しい生活の場ができた。

そんなおり、皆さまなら調理器具は何を持っていくだろうか。ここでは最小限でという制約をつけよう。

私は、フライパンと、ざると、鍋を持っていくこととした。

切る系は、もうこの際いらない。やさいはちぎればよろしい。肉も同様。

炊飯器もこの際いらない。鍋で炊けばよろしい。

その他いろいろ、鑑みて、この3種の神器をキッチンにおける守り神として鎮座(実際には使い倒すわけだが)させることになった。

ここまできて、私のブログに精通している聡明な読者なら私がなにを言いたいかわかっただろう。(私はまだいまいちわかっていないので、もし分かった。と思い、かつそれが見事的中したかたは完全に私の意思を超えている。今後はこのブログをあなたが継続していくのがよろしい)

つまり、世の中、大は小を兼ねるのである。

私の鍋はニトリで購入した980円の20cmのものだ。これ一つあれば、炊飯器などいらない。何でもできる。ラーメンも作れるし、パスタもできる。ごはんも炊けるし(ちなみに予測変換では猛氏である。かっこいいのでそちらを採用しようかと思ったほどだ)カレーだって、シチューだって、肉じゃがだって作れる。なんでもござれである。にもかかわらず、世の中にはさまざまな調理器具があふれ、いろいろな電気的介入を受けている。

なんとも不思議なことだ。そう感じる。米を炊くのを一つ例にとっても、数万する炊飯器よりも980円の鍋で炊いたほうがうまいと感じる。

では、この値段の違いはなんなのか。

利便性である。これは真理だと思う。

我々は、品質(クオリティー)ではなく、利便性に最もお金をかけるのだ。

例えば、食器洗い機。これも100円のスポンジと、100円の洗剤があればより高いクオリティーで食器を洗うことができる。妙な洗い残しや、頑固な油汚れだって、時間と労力をかければ、なんということはない。しかし導入しているご家庭は多い。楽だからだ。多少の諦めと、ちょっとの気配りで、とても楽できる。そのために数万、数十万かけるのだ。

 

しかし、利便性というのは最終的な目的足りえないと思う。

食器をどれだけ早く楽に洗えても、盛り付ける料理がなければ意味がない。

どれだけ調理が簡単で、素早くできても、おいしくなければ意味がない。

意味がない、などど簡単に切り捨てるほど私はえらくない。

なので、そんなことはないと、一応とってつけておく。

 

我々が目指す最終地点がなんなのか、きわめて興味深い。

手段はあくまで、手段なのだ。なんのために今行動しているのか、今一度立ち止まってはどうか。

などどえらそうなことを言うほど私はうまいこと生きてない。

 

このブログについて 2回目

を、書こうと思っていた。
最近ブログにちゃんとした名前(についてはもしかしたら今後詳しく書くとか書かないとか)をつけてやったから、改めて自分のスタンスであるとか、今後どんな感じでメディアミックスを行っていくとか(行っていかないとか)書こうと思って意気揚々と"はてなブログ"と某有名サーチエンジンで検索し、トップに来ていたはてなブログの門を叩いた。

そこで唖然とした。

注目のブログなのかなんなのか詳しいことは知らない。書いて眺めるのが私にとってブログだから基本的には注目の!とかなっていても読まない。
そうは言っても目につく。

「テンガのエナジードリンク「メンズチャージ」を飲んでみたのでムスコから感想を一言。」

がトップのタイトルである。

一瞬でブログを書く気力を奪われた。
3秒くらい無を感じた。

別にこれの作者をバカにしているわけでも、内容がものすごく不快だったわけでもない(ちゃっかり読んではいる)。
何に問題があったのか分かりやすく説明するならば、コンビニに消ゴムを買いにいったら店の入り口の普段だったら一番くじでも売っている辺りが丸々成人コーナになってしまった、みたいな感じだろうか。(ちょっと言い過ぎかな)

これ人によって違うのだろうか?

ちゃんとなにかしらのアルゴリズムに則って選出された結果、私の元にレコメンドされたのならば、普段の行いを改めなくてはいけないと思う。具体的には"早漏 対策"であるとか"ハゲ 対策"でるとかの検索を控えるようにしよう(もしブログ内容で推薦されている場合には完全に墓穴を掘っているが)と思う。

今日の内容が面白くない?(誰かそろそろ見てくれているだろうという期待から疑問形)
レコメンダーに文句を言って下さい。

謹賀新年。お喜びのことと存じます

おはようから、おやすみまで、あなたの肘からこんにちは。

タグチでございます。

 

さて、新年みなさまいかがお過ごしでしょうか。

寝てばっかりいると、一日について一年分老けるそうです。ご自愛ください。

さて、今回は何か話したいことがございました。まさか、私のようなよくわからんブロガーが新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたしますでは、ご愛読いただいている(重ね重ねいるとは思っていませんが)みなさまが納得できない。無論私も納得できない。いかがしよう。という話なる。

そんなことは重々承知で、しっかりと社会と政治と世界平和実現のために今後100年にわたってサイテーションされ続けることになるブログテーマが思い浮かんだはずなのだが、あのひらめきはどこに行った。責任者はどこか。今後100年を返せ。今すぐにだ。

忘れてしまったものは仕方がない。これは諦めて前を見据えよう。

前を向くものこそが真実をつかめる。(いい言葉をひたすら並べていくシリーズその1)

下を向いたっていいじゃないか。そこにお金が落ちているかもしれない(その2)

さあ、一歩踏み出そう。ただ、そこに何も(うんことか)ないことをしっかりと確認してくれたまえ。(その3)

石橋をたたいて渡るのも一向に構わないが、最近の建築はよくできている。たまには信用してみてはどうだろう(その4)

ああ、さっきの人ね。あれ、知り合いの総理大臣。気さくでいいやつなんだけど、ちょっと現実見すぎかなって注意してたとこ。(その5)

人を見下すのもかまわないし、馬鹿にしてても別にいいけど、されないように気を付けてね(その6)

ああ、さっきの人ね。あれ、俺の上司。次にリストラがあるならお前だろうって、、、泣いてもいいかな(番外編)

新年あけましておめでとう。今年もよろしく。今年で、全部やりきるぐらいの気持ちで日々しっかり生き抜いてな。(その7)

そういえば、お前、子供出来たんだって?おめでとう。その子のためにも、俺たちの世代でできることは今のうちにやってあげないとな。(その8)

そんなにいいの?もらっちゃって?ありがとう。束になってるじゃん。本当にいいの?

ってなに。ナイフはしまわないと恐喝?もってるけど使わないのが鷹でしょ。(その9)

あっ年賀状出し忘れた。でもどうせ出す相手もいないか。いやいたか。たまには親に宛てるってのもいいものかな。(その10)

 

正直言ってこんな感じのブログにするつもりは毛頭ございませんでした。でも、どんな内容でも、ちゃんと行動した結果を残すというのが、やっぱり大事なんじゃないかな(終わり)

 

 

さあ、お隣には先客がいる。

切羽が詰まっている。この切羽という言葉は(以下略)

しかし、切羽が詰まるとどうやらブログの更新頻度が上がる。

忙しくなるとお掃除が捗る。みたいな話とよく似ている。

その話と決定的に違うのは、捗ったところで、別に生活が潤わないということだろうか。(じゃあ書くなよ、という話は結構だ。単なるあまのじゃくである。可愛げがある坊やだな~くらいに思っていてほしい。)

さて、先客がいたのは他でもない(他でもないという言葉はものすごくかっこいいのだけれど、誰も他の選択肢を考えていないといつも突っ込みを入れたくなる。自分のブログだから、だれも文句は言わないだろう。誰もほかの選択肢など考えていないッ)トイレである。

ずうずうしくもウォシュレット機能のついている所を占領している。

まあそこまでは別段目くじらを立てるところではない。この時間(23時14分現在)3つあるトイレの個室が(おそらく今まで明言したことがないので改めて言っておくと私は男である。なので、小便をするときに用いる小便器も別に用意されているトイレの話である。)埋まることはおそらく皆無だろう。それこそ切羽詰まらせて叫び声を我慢するものはいない。ゆっくり使っていただいてまったくもって問題ない。

問題なのは、個室なのをいいことに足でリズムをとり、時折裏声も交えながら一人カラオケを実施している点だ。

おまえ、こんな時間に何をしている。

はやく出ろ。そして家に帰ってやれ!

ここは君の歌声を披露するところではない。うんこを催すところだ。

歌声を披露する会を催すまえに、便意をなんとかしたまえ。

なんとなく、聞いてしまっていることに罪悪感を覚えてしまい、いまいち集中できない。いや、私のトイレにおける集中力の高さは並大抵のものではないので、おそらく一般の人からしたら相当に集中できている状況だとは思うのだが。(こんなしょうもない自慢を公共のブログに乗せるために今私は熱心に筆をとっている。)

集中を切らさないよう、何とかかんとか精神と向き合い、そろそろ宇宙が見えてきたあたりで、私のこの大便器に対する用件は終わってしまった。

ふう。すっきりした。

が、まだ歌っている。しかもノリノリである

先ほどの音量が13であったならば、現在は17というところだろうか。(うちのテレビ設定基準)

 

早く出なさい。私でなければ、便と真正面から向き合えなくなってしまうよ。

そしてあなたが歌っているのは何語なんだい?またもやもやの話をしなくてならなくなるよ。