前言撤回

タナカがおとどけする、ゆるふわ系徒然ブログ

処理速度低下

本日はお日柄もよく、見事なクリスマスでした。

どこら辺が?ピザ屋は盛況で、私も御多分に漏れず、稼がせていただいたという点でしょうか。彼女ときゃっきゃうふふな休日を過ごせなかったという点では極めて遺憾なクリスマスでしたが。(このきゃっきゃうふふという言葉はものすごく語感がいい。ついつい使いたがるのだが、自分自身がきゃきゃうふふな境遇に基本いないためせっかくのきゃっきゃうふふが箪笥の肥やしになってしまっている。今回はきわめてナチュラルに使えて大変満足だ。)

さて、まじめな話題だ。(いきなりどうした。)

みなさんも一度は感じたことがあると思うのだが、今日は本当にそれが顕著だった。

そう、どうにもこうにも歌詞が思い出せなくて、なんだか1番から抜け出せなくなってしまったり、2番に行かないでいきなり終わってしまったりする、あのもやもやだ。

それ、とか、あのとか曖昧模糊としていて極めて申し訳ない限りなのだが、そもそも伝えたい対象がもやもやとして曖昧模糊としているものであるため、今回に関してはどうかお許しいただきたい。

いやはや本当に出てこなくてびっくりした。

しかもサビがでてこなかったので非常に淡白な歌になってしまっていた。

帰ってから彼女で聴いてみて、そうそうこれこれまさにまさに。という圧倒的な納得感にびっくりしてしまった。

そんなときにふと思ったのだ。

あのもやもや。なんともこう、やはり言葉では言い表せないもやもやこそが、われわれの最終到達地点たり得るのではないだろうかと。

ん?こいつはいきなり何を言い出したのかと驚いている読者もすくなからずいることだと思う。あるいは読者がいないことだろうと思う。

しかし、ぜひもう少しだけ付き合っていただきたい。

例の化けて出る物語のあららさんは、同級生の少女にたいしてこのように言及していた。

「神々の言語でなければ表現できない。」

我々は、たいていのものに名前を付けている。

しかし、脳みそを使う過程に生まれたあのもやもや。これはやはりどうも形容できない。できるならばもやもやでない。

あのもやもやがすなわち神々の言語なのではないかと少し考えた。

抽象的の極致があのもやもやであり、あのもやもやですべての思考を行い、もやもやでコミュニケーションをとり、もやもやで今日の晩御飯はなんだろうと思いを巡らす。それこそが神なのではないだろうか。と。

すべての発想の前にはあのもやもやが付きまとうように思う。

そして、そのもやもやを言語化し、何らかの形で表に出さなくては、我々は理解を得ることができない。

もやもやをそのまま理解できれば、様々な思考の処理速度は上昇するのではないだろうか。我々の思考は英語をわざわざ日本語に直さなければ理解のできない中学生のような処理速度なのではないだろうか。

と、とりとめもなく書いてみたが、文章中のもやもやの出現回数に驚く。

計13回。もやもやと言いたかっただけなのではないだろうか。とそう言われたら、そこに反論の余地はない。