うわき
僕にはそろそろ付き合って2年になろうかという彼女がいる。
それにもかかわらず、とうとう浮気をしてしまった。
いつかやるぞ、いつかやるぞと思っていた矢先とうとう堪えきれなくなった。
これは、僕が体調を崩してしまったことに起因する(どういう因果関係かはご想像にお任せする。あんなことやこんなことを想像していただければ幸いである。というか読者がいれば幸いである)。
そんなこんなで、昨日関係をもった。やってしまった。しかも二回も。
やめればいいのに、今日も関係を持った。朝から昼にかけてである。
しかもそのあとは本命ともしてしまった。3時間半コースだ。
こんなことを言っては怒られるかもしれないが正直疲れた。
精も根も尽き果てた。
いや、わかっている。
みんなにあれだけやめろと言われたのにもかかわらず、無視を決め込んで目先の欲望に捕らわれたからこうなった。(どのぐらいの疲弊度かというと、この一文を入力するのにタイプミスのせいで2分くらいかかっている)
わかっている。自分の責任でやったことだ。疲れはしたが後悔はない。それに見合うだけの対価はいただいた、、、
しかし、2股をかけてみて気が付いたことがある。
やはり元鞘はよい。ということである。
しっくりくる。どうにもこうにも言い表せないホーム感があり温かい。そして自然体でいいので楽である。
だからこそ、今回は浮気ではなく、あえて社会見学という言葉を用いたい。
あえてである。あえて、もともといいのはわかっていたけれどもその実感を確固なものとするために、あえて他のところに行くのである。そして、ああやっぱりここが一番だな。とより愛を深めたかったのである(もうすでにここまでくると、自分に酔っていてしまっていて、目先の欲望がどうだったとかという話は当然もうすでにわすれている)。
もう浮気なんてしない。元鞘に収まり前だけ向いてともに歩んでいこうと思う。
完
しかし、あと一回浮気相手と約束してしまっている。
さすがにそこに出向かないのは気が引ける。
その約束を果たしたら、もう連絡は取らない。メールアドレスの設定でいくらでも拒否できる。もともとはメールだけの関係である。
君と過ごした時間も、貴重な人生経験として取っておく。君のことは忘れない。さようなら。
まあ、あんまりにも俺のことを思ってくれるならたまには会うくらいしてやってもいい。サービスタイムで納めてくれるなら。
続・完
しかし、本当に昨日今日とハードだった。やはり日払いにつられたからってバイトの掛け持ちなんてするもんじゃありませんね(面白がって妙なタイトルをつけたから、バイト中にあったあれやこれや、本題に入るまでに紙面を使いすぎてしまった。
またいつかのサザ工さんは、「先輩、社員に懐く」、「この弁当、おいしい」、「わたくし、優秀の条件をみつける」の三本でお送りいたします。
じゃん、けん、グー、あはははは)。
ほしみ
今日は本当に眠い。
眠気は人をダメにする。
徹夜で作業をする人たちの気持ちがわからない。どう考えても作業効率が悪い。最初はよくても途中で絶対にはかどっていないことに気付く。いや、これは僕だけだろうか。
これは、いままでのそんなに長くない人生経験からの回答である。
「眠気には勝てない」
まあはっきり言って、世界のぶっちぎりチャンピョン最強のエースストライカーである。
あ、背番号11 眠気選手が出てきちゃったかあ、これじゃもう試合見ててもあんまりおもしろくないね。
と、なるぐらい強い。もしこの試合に見どころがあるとするならば、どのぐらい粘ったかである。
勝てることはほぼない。万に一つもない。が、たまに粘れる。
後半戦残り5分というところまで同点みたいな試合展開くらいはある(この展開が許されていなければ、今頃僕はまともな社会人になれていなかっただろう)
ということで、いまものすごく粘っている。
粘ってないで、早く寝ろ 20代男性 (自分調べ)
という意見もあるが、やはりここは昨日かけなかった分もしっかりと書いておきたい。
が、そろそろ二人目の眠気選手がやってきた。(そう、こういう反則もあり得る
。)もうそろそろ限界である。
しかしまあ昨日は月が沈んでいるタイミングで今月最後のチャンスだったから見に行きたかったんですよ、星を(M42がお目当て)。
やはり20㎝は強いです。イーソスもさすがというべきかいい味を出しています。
しかし、どれだけいい観測にも弱点がある。(しかも昨日は空が明るくてイマイチだった)
そう、次の日 眠いということである。
さいきん
ここ最近は毎日更新している。
そのため、ネタがだんだんなくなってくる。
いや、日記なんだからそれでいいだろ、おまえは誰に向けてどれだけ価値のある文章を書いているつもりなんだ恥を知れ、と天から聞こえてくるような気がします。(いや、ただ眠いだけです。)
今日はとりたてて書くようなこともない。
さてどうしたもんか。いま悩んでいる。話しかけないでほしい。(もちろんいない読者から話しかけられることもない。じっくり悩むことのできる素晴らしい状況である。少しくらい妨害してほしい。)
さて、なんとなく思いついたような気がする。
最近、トレンドといえばやはりアプリであろう。
様々なアプリが市場に出回り、大変な様相を呈している。
陣取り合戦もここまでわちゃわちゃしていると何が何だかわからない。
さっきまで黄色かった旗がいつのまにやら青くなって、ああそうか時代は青色か、やっぱり青が最強だよなふふんと、思っている横から、あっどうもこんにちは今日もいい天気ですねみたいな顔で赤色に塗りなおす輩がいる。(注:ポケモンGOの話ではない)
つまり現在新しいアプリの開発を行う場合、収益度外視で自分の作りたいものを作るべきである。自分が欲しいものを作って、まあ他に誰か落としてくれて役に立てばいいなあくらいに思うのがいい。
別段なんのことを言いたいわけでもない。ただ大変そうだなあと思っている。
そして、欲しいものがなさそうだから自分で作ろうと決心した今日この頃。
何とか今週中には完成させたい。決意表明である。
まあそれはさておき今日は彼女と心が通じたような気がしてものすごく気分が良い。
人間、通じ合えることなんかないし、わかろうと思ったってわかるわけもなく、わかった風になるなら、わからないとさっぱり思っているほうがまだすがすがしい。
だからあんまり、彼女の動きどうこう(ダジャレである)を気にしないようにしているのだが、どうも気になって仕方がない。理性を超えたところに感情というのはそびえたっている気がする。
基本的には感情を理性で制御できていたはずだったのだが、どうも最近調子がおかしい。惚れた弱みだと思ってあきらめも入っている。
それでも時々、いまはさすがに同じこと考えてたよね以心伝心だよね。と思う時がある。(直接聞くと、いやちがう。とにべもなく拒否されるので私の思い込みの可能性も捨て切れない)
さて、本当に何が書きたかったのかわからなくなってきたから今日はこの辺で。
恋は迷走である。
とうかこうかん
等価交換は現実世界では成り立たない。
正確には成り立たせても意味がない、が正しい。
ハガレンの読者諸君には不満を持つ方もいるだろうと思う。
物語にあっては、等価交換が厳守されていた。あの法則によってあの物語は成り立っていたといっても過言ではないと。
ここで、皆さんに質問である。
人間にとっての価値を三段階A、B、Cにわけるとする。そして、あなたは価値Aの宝物を持っている。そして、アルフレッド君にこの植木鉢と交換してくれないか?と頼まれた。その植木鉢もなかなかの品ではあるが価値はBである。
さて、交換するでしょうか?
答えは、わからないです。
なぜか、物に対する価値基準は絶対ではないから。
どう考えても、価値Aのものと価値Bのものでは交換すれば割に合わない。
しかし、アルフレッド君は名家の一人息子でものすごいお金持ち将来有望、ここで一つ貸しを作っておけば後で帰ってくるものはお宝程度ではないかもしれない。もしかしたら、逆に彼には借りがあってこのくらいの無茶な要求はのまなければいけないくらいの関係なのかもしれない。
どちらの場合も、物品とは離れた位置に考えなくてはいけない要素が存在する。そしてそれを考慮したとしても、残念ながら等価ではないでしょう。本当に等価ならば交換する必要がそもそもないのですから。
そろそろ賢明な読者諸君はお気づきでしょうが、つまりこれは問題が良くない。
価値A、価値Bと勝手につけてしまったが、それがそもそも人によって違うのだから等価にはならない。なった時には交換する必要がないという現実。
つまり結論としては、等価交換はありえないのです。
どちらかがより利益を得、どちらかは損をする。(両者にとって、それぞれの価値が自分のものより大きい時にだけ両者が得をします。これも等価なわけではないです。)
つまり、何か行動を起こすときは、必ず自分にとって(つまりここが最重要)価値の大きいほうをつかみ取らなくてはいけないということ。
そのように常日頃から行動しなくてはいけないということです。
ふう、久々に頑張ってカッコつけた読書感想文を書いた気がします。
今回私が言いたかったのは、「ロマンス小説の七日間 三浦しをん著」がしっかりと面白かった、という話です。この本は集中のあまり一時的に僕の視力を奪いましたが。
きんにく
筋肉関係の話題である。
そういうのに多感なお年頃である。
本日はわざわざ大学の図書館に出向き筋肉関連書籍を探した。
さすが大学というだけあって、より専門的な理論に基づいてる感のある本(本当に専門的かどうかは専門の人間でないと気づけないというジレンマ)がたくさん並んでいた。
これは、私の彼女が言っていたことだが、
「選択肢が多すぎても迷惑なだけだよね、、、もっと少なくしてほしい。」
なんだったか家電を買おうという話で言っていた。ということを思い出した。
多すぎてちょっとどこから手を付けていいかわからない。
なので、ピンとくるやつを探そうと思ってなるべく先入観にとらわれず書棚に目を走らせた。
そんな中で私の目に留まったのがこちらである
「思い立ったらスグできる!1回30秒 ノーモーション筋トレ ギュギューットレーニング考案者 廣原 誠」
である。
なんともこう欲望に満ちている。
あんまりがっつりはやりたくないなあとか、じかんかかってやなのよねえとか、家ではかぞくのめがあるし~とか、やっぱり時代はノーモーション!!!ギュギューッ!とか(いや、おまえは誰だ)
そんなわがままを許してくれそうな圧倒的な包容力を感じてしまったので仕方なくこの本に決めた。やはり決め手は包容力である。
決してノーモーション!!!ギュギューッではない。
皆さんもあまたある人間のなかから選ばれたくば、ぜひともわがままをかなえてくれそうな包容力(金)を手に入れましょう。
これからの皆さんの繁栄を願って、、、(さて、いよいよ趣旨を忘れてきた。)
にゃんにゃん
猫、という生き物がいる。
みなさんはご存じだろうか?
ネコ(猫)は、狭義にはネコ目(食肉目)- ネコ亜目- ネコ科- ネコ亜科- ネコ属- ヤマネコ種- イエネコ亜種に分類される小型哺乳類である
wikipediaより引用
この生き物、驚くほどかわいい。
どのぐらいかわいいかといえば、その場にいるだけで幸福感を感じ、全身に襲い来る多幸感で猫が近くにいることに気付けるくらいである。(主観はイメージです。)
よって、今日は猫カフェに行った。彼女と行った。ラブラブである。
さて、猫カフェでは大方の予想通り、猫に無理にかまってはいけない。しっかりと手を洗わなくてはいけない。無理に起こしてはいけない。フラッシュは禁止等々の説明を受け、座席(フリーではあるが)に案内された。
右に左に前に後ろに、猫がいる。
幸せである。全身を包む多幸感によって猫の存在を把握するまでもなく、猫が周りにたくさんいる。
行った時間は、およそ1時。夜行性の猫はおねむの時間である。昼寝をしている子が大半であった。寝ているのをいいことに
むにゃむにゃして、もちもちして、がざがさして、ふにふにした。
あいだ、ちび助(本名ドレス)に噛まれたり、でかぶつ(本名アイルー)にちろちろされたりといろいろあったが、気づくとあっという間に一時間である。これにはびっくりした。あまりの時間の進み具合に明石に何かあったのかと心配をするほどであったが、むしろ私のテンションの上がり具合に彼女が心配していた。
かなり、いいところである。猫カフェにて、猫と戯れることなくもくもくと読書をしている青年を見かけたが、あの姿もまた良い。おそらく常連なのだろう。前述ではあるが、猫が近くにいるだけでそもそも十分に幸福感はある。なんともうらやましい時間の使い方だ。ぜひとも参考にさせていただきたい。
なんとも有意義であった。
猫それぞれの性格を把握し、それぞれの子にあった接し方を覚えればさらに楽しいに違いない。つまりやりこみゲーである。
早く鉄拳神になりたい。
ぴざ
世の中には、道というものがある。
人間の一生は常にその選択とともにあるといっても過言ではない。
右に行ったかと思えばすぐに左。
左に行くかと見せかけての直進。
直進に直進を重ねることもしばしばである。
目の前に選択を迫られるそんな時。あなたは何を指針にするだろうか(この雰囲気が完全に宗教の勧誘になっていることには気づいている。安心してほしい。)
そう。Google Mapである。
今回は眠いのであまり長いことを書く気はないが僕は東京都の葛飾というあたりに住んでいる。葛飾区の特色、特産品、観光スポット、おすすめのジョナサンなどはおいおい書いていくこともあるだろう(それ以上に書かない可能性もあるだろう)。
そんな中にあって、現在ぼくはピザ屋で働いている。
そう、いま頭に浮かんだその職業、それである。(もし違う職業が浮かんでいても責任は取らない)
よって、土日は配達に行く頻度が高い。
本日も元気に配達をしてきた。霧雨で肌寒かった。早く家に帰りたかった。が元気である。ということにしておこう。
配達をしていると、町の変化に敏感になったりする。とくにマンションやらビルやら大きいものは移り変わりがリアルタイムである。そうでなくても最近開発が多い。
おかげで、今日はなかなかファンキーな住所にぶつかってしまった。
僕はそのとき494(仮称)番地を探していた。店舗に大きく張ってある全体の地図では493までは見つかった。しかし隣がいまいちごちゃごちゃしていてわかりずらい。
店長はやけにピリピリしてるし、そこそこ混んでるしで、とりあえず行ってみて探すことに決めた。
493にたどり着いた。まあ何となく数字を追っていけば494にぶつかるだろうと気楽に考えていた。それは甘かった。
491、492、493ここまではよい。隣接している。明らかに近所であることは明白(明らかに明白なのだ。それ以上でもそれ以下でもない)である。
しかし、その道を一歩挟んだ先が、504。絶望感である。
その(ありがたいことに番地表示をしてくださっている)一軒家(島村さん)はあたたかく僕を迎え入れてくれていた。庭先もきれいに整えられ、玄関はしっかりと清掃が行き届き、インターホンはあたかも押してくださいと僕に向かってお辞儀をしているようであった。
これは、行かなくてはと心が揺らぐことは、しかしなかった。
当然である。島村さん宅がどれだけ温かく迎え入れてくれたとしても、おそらくピザを頼んでいないのである。そんなところに無粋にもノコノコ出ていけばお辞儀をしてくれていたインターホンは牙をむき(イメージ)、きれいな玄関先は世紀末と化し(イメージ)、庭先ではバトルロワイヤルが開催される(イメージ)に違いない。
そんな目にあうことは御免被る。
さて困った。と、ここでようやく僕は面倒くさがらずにGoogle Mapに頼ることに決めた。
そして驚き。僕があれだけ(約3分間)探し求めても見つからないのは当然である。
大通りはさんでさらに道を一つ挟んで、その小道を右に行ったところだったのである。
確認した。何度も確認した。どう考えてもおかしい。491、492、493と軽やかなリズムでもって見事につながったメロディーは明らかに大通り(および更なる道)によって不協和音を奏でている。
なんだこれは、さすがのGoogle も松戸まではカバーできなかったかと。
そうか、気づいていなかったけどここはど田舎で、住所表示さえもおかしくなってしまうのかと、さんざん文句を垂れながらも、とりあえず指定されているポイントに向かった。
あった。普通にあった。あ、待ってたよ。みたいな顔で家がこちらを見ている。
Googleさんはぜひともこれからも頑張ってください。応援しています。