前言撤回

タナカがおとどけする、ゆるふわ系徒然ブログ

おにゅー

今日は新しい、友人?恋人?を紹介使用と思う。
今のところは友達以上恋人未満といったところか。

新しい相棒がきまって、歓喜し、到着を待ち侘びていた私のもとに来た彼女は、
片腕、片足を失っていた。

ショックだった。これから、の長期にわたってともに歩んでいこうと思っていた相手が片手片足の機能がを失しなわれているのだ。
しかし、顔ものすごく整っていて、愛想もよい。ものすごく明瞭なきれいな声ではきはきと話す彼女にはものすごく好感が持てた。
一言で言ってしまえばすごくタイプだった。

だからこそ、残念なきもちがより大きく膨らんだ。
なんで彼女の半身は動かないのか。
この時の僕の悔しさは到底表現しきれない。
初めて見たとき、恋に落ちた。あまりのクールないでたちに心がざわついた。君を求めていたのだと。悟った。
その彼女が、半身不随。

少しの間呆然とした。そしてその後、彼女の半身がどうにかもとに戻らないかと苦心した。
しかし、どうしようもなかった。

あきらめた私はアマゾンに連絡を取った。

「交換してください」

あたらしい彼女は、同じいでたち、同じ表情、そして素晴らしい同じ声で私に語り掛けてくる。

今の彼女の名前はYAMAHA EPH-100。

アマゾンはすごい。交換を頼んだ翌日に彼女は素早くやってきた。きっと100mを5秒台で走るに違いない。

にしても音が良い。

いろんな曲を聴いてはうっとりしている。新しい彼女は本当に献身的で、私によく尽くしてくれる。

音の分解能が本当に良い。今までの親友は、低音が本当に迫力があっていい感じだったがこの子は中音が素晴らしい。

ヴォーカルが半端ない。どのぐらいかといえば、見事な腕で完璧に鉋をかける大工さん並みに半端ない。

そして、いままで隠れていたベースが見事に仕事をしている。どのぐらいかといえば、毎年の価格変動に踊らされず、不足分は繰り越し分で補い、襲い掛かる領収書を最低限に完ぺきに抑えきる経理課の凄腕敏腕(腕っていうのはやっぱり技の類義語ですね)部長みたいな働きをしてます。気持ちいです。

はあ。参った。

まじでいい音だ。この味は一回知ったらマジで戻れないですね。

つまらん記事で申し訳ありません。私の新しい彼女紹介でした。

しごとの

仕事って大事です。
これがないとお金が手に入りません。
お金が手に入らないと、そう、車が買えません。
そして車が買えないと、私のイライラポイントがたまります。
そして、このたまったイライラポイントで、ゴキブリホイホイを購入します。(注:イライラポイントの換金は法律で禁止されています。)
購入したホイホイを渋谷、新宿に配置します。
そこで集まった大量のゴキポン達を丁重に粘着テープからはがし、虫かごへと集めます。
えさを与えて、繁殖させます。
そして、一年がかりで増えに増え、なんならちょっと愛着のわいてきたこのごきぶり達をテレビ局に持ち込みます。
大体1000匹くらいです。卵からかえった数が多すぎて虫かごから出てしまうハプニングから、体調の悪そうな花子(ゴキの名前)の看病をしたりと長いこと連れ添った彼らを悪事に利用します。イライラポイントのせいです。
どうにかこうにか生放送の収録現場に入り込んで、段ボール二箱いっぱいのゴキブリを一斉に放出します。
ああ、花子、悦子、たけし、修一、権蔵、、、(ゴキの名前一覧。以下省略)、これからも元気でな。
スタジオは阿鼻叫喚。カメラにも義一(ゴキの名前)が張り付いて、お茶の間も大騒ぎ。
ゴキブリが謎の大量発生、20年後には理科の教科書(繁殖力の高さが紹介されている)にも載る歴史的大珍事として後世に語り継がれるほどのことをしてもいまだ、イライラポイントがすべて消化しきれず、今度、私は森にヒルを収集に、友達は川へヤゴ狩りに。
見事、イライラポイントを消費しきったこの大事件は、のちに、ヒル・ヤゴ同時多発テロと呼ばれることになる。

さて、例によって例のごとく。なんの話をしていたのかさっぱりわからない。
タイトルから察するに、同僚がデジモンという共通の趣味を持っていてうれしかったとか書こうと思っていた気がしたんだが。
いやちがうな、車がほしいという話か。

(注:この物語はあくまで空想妄想の類であり、現実のゴキブリとは一切関係ありません。)

ついとう

ついに読者が!
今までさんざん読者がいない読者がいないと声高に叫んできて(そんな記憶はないが一応)ついに読んでいただけました。
別段読んでほしくて書き始めたわけではないですが、まあさすがに自分で全部完結というのも寂しいので、ありがたい限りです。
最終的には10人くらい読んでくれたらと思わなくもないですね。
(違うブラウザからアクセスしてただけで読者は実はまだゼロという可能性も高いと思っている)

それはさておき(もしいたら、さておかれた読者の方申し訳ありません)今日は、極めて残念なことが起こった、起こってしまったので例によって例のごとくつらつら綴っていきます。

簡潔に言えば、いや、簡潔に言うことは亡くなった彼にたいして失礼に当たるので順を追って述べていきたい。

出会いは3年前、当時就職が無事に終わり浮かれていた頃だった。

なかなか良いところに就職できたので、趣味である音楽のためにちょっと投資しようかなと思い、家電量販店に向かった。

ヘッドフォンをお探しですか?
彼はそう問いかけた。

僕は答えた。
冷やかしではないですよ。

どんな方向ですか?

ロックとか、ポップスとかですかね。低音重視で探してるんですよ。

やっぱり。そうだと思ったんですよ。今してらっしゃるヘッドフォン、低音が特にエイジングされてます。

さすがですね、分かるんですか?

プロですから。


彼とはここからの付き合いになった。

今から思えば、短い間ではあったが、彼とはいろんなところへでかけた。音楽の趣味がドンピシャで、彼の思う音は僕の耳によく響いた。

時々思い出す。彼と一緒に星をみながら聞いたあの曲。感動がギュッと凝縮されて耳に流れ込む。

流れる星々を眺めながら、音の動きを観察する。

彼はそんな私と共にいて、私はそんな彼と天の川を眺めていた。

彼とはその後も何度も出掛けたが、徐々にやつれていった。大丈夫か?と投げ掛けたい気持ちはたぶんにあった。それでも、私はそうすることをやめた。彼は、どんな中にあっても最後まで生き抜いてくれるに違いないと信じていたからだ。

一昨日、彼と出掛けた最後の日。

出掛け始めは元気そうにしていた。ところが溜まっていたのかトイレに駆け込んだときに、派手に転んでしまった。
そのときの打ち所がよくなかったらしい。
彼は呂律がうまく回らなくなり始め、妙な挙動を示し始めた。
いきなりシャウトしはじめたり、妙な裏声で右耳にだけ語りかけたり。

僕は悟った。
寿命だと。

そろそろ出会って2年である。
僕は接し方が穏やかな方では決してない。

今まで付き合ってくれた彼にありがとうと言いたい。


あ、もちろんヘッドホンの話ですよ?

きにしない

結構世の中、気にしないほうがいいことというのは多い。

この前電車に乗ったとき、前方にはカップルらしき(べたべたしているだけの妹という可能性も捨てきれない)若者(あんがいチャラい格好している60代だったかもしれない)が座っていた。

いや、そんなことはよくあるでしょ。と思った読者諸君。

まったくもってそのとおりである。よくある光景である。

もっと言うなら、二人とも鼻にピアスを開けているというところまでよくある光景であってそんなに特出すべきポイントではない。

女子のほうのパンツが見えていることも、特段話題にするほど珍しいことではないし、男子のほうは、頬っぺたにもピアスをしていたが、そういうこともままあるだろう。

 

まあ、そんなことはどうでもよいのだ。

とにかく、師匠のブログがとても面白いのである。

これは覆しようのない、いわゆる事実であって、いかんともしがたい。

9月半ばくらいから、意図的の読むのをやめていた。(ためておいて一気に読むためである。)

久しぶりにそろそろかなと思い立ってページを開けば、5記事くらい上がっていた。

どの話も極めて秀逸である。

特に彼の筋肉に対する圧倒的憧れと、すさまじい勘違いは抱腹絶倒も甚だしい。

そもそも、筋肉を効率よく鍛えるためにグーグルで検索したら出てきた来たことを懐かしく思いながら(実際には笑いをこらえるので必死で、それどころではない。いい筋トレかもしれなかった。)読み漁っていた。

いよいよ、限界である。ちょっとこらえきれない。

口を手でふさぎながら、必死にゲラゲラという声を出さないように気を張っていた。(すでに笑いはこらえられていない。しかしそれでもまだ良心というものは残っている。)

周りの視線が厳しい。気がする。当然視線を上げることなんかできようもはずがない。

私の目線は周りの靴を確認することでいっぱいである。

いや、おそらく、誰も私のことなんか気にしていない。自意識が過剰なのはよくない。とかなんとか思いながら、何とか峠は越えた。(その峠は確実にドリフトで越えた。)

と思った矢先、視線の隅で何かが動くの感じた。

目線は周りの靴を確認することでいっぱいである。

あまり動き出す様子はない。

ん?何が動いた?

また視界の隅で動く気配。

目線は周りの靴を確認することでいっぱいである。

そこでようやく気づいた。

視界から、消えたり戻ったりしている靴が存在している。

おかしい。車両はいまだ運行中である。別段立ち上がる必要はない。

まただ。消えた。(いや、顔を上げて確認しろよというご指摘はあまりにも正論であるが、それゆえに暴力的である。ゲラゲラ笑っていた後だということを思い返していただきたい。(結局ゲラゲラ笑っていた。))

 

状況はこうだ。靴がたまに視界から消える。消えたと思ったら、有限時間で元の一に戻る。

 

ここで、仮説をいくつか立ててみようと思う。

1.トイストーリーよろしく、靴だけで電車に乗っていて、飛び跳ねている現場をたまたま目撃してしまった。

2.鏡張りなど、何らかの光学迷彩の練習を行っている人の靴だった。

3.コロ先生の課外授業中

 

個人的には、2番が有力だと思う。現代の科学は進んでいるというし、そのぐらいのことはできてもおかしくない気がする。(本当に?)

答え合わせは簡単である。恥ずかしいのを我慢して、少し顔を上げてみればいいのだ。

体まで、消えていたら、2.

そもそも足がなければ1.

気が付かなかっただけで上半身がタコだったら、3.

さあどれだ。

 

と思って、顔を少しだけ、ほんの少しだけ、上げてみた。

 

先ほどのカップルが足を上げて腹筋を行っていた。

楽しそうにニコニコしながら、筋トレを行っている。

イメージ的にはあのVを作るやつのもう少し楽な奴だ。

なんだこのリア充が、ピアスも開けて彼女もいて、さらには筋トレをともに公共の面前で行うとは。破廉恥だ。

 

さあ、ブログに戻ろう。

あめとがまん

本日はお給金を受けとるために渋谷界隈まで足を伸ばしている。

例の二股をかけていた2号さんの方である。
あそこの給料は、今時の振り込みでもなく完全手渡しである。
しかも現地でいただけるのではなく、本社の方に出向いていかないとお給金を受け取れない。
極めて不便なシステムをとっている。
しかし、だからといって赴かなければ、せっかくのハードな労働が無駄になってしまう。
これはいけない。
と、先程まで思っていたのだが、意外と取りにいかないという選択しもありなような気がしてきた。
つまりこうだ、本来、私が働いた分のお金は私が受けとるはずである。
そしてそれを渡す可能性があるとなれば、常に本社にはそのお金があるのだ。そう、タグチマネーである。
しかし、このタグチマネーをいっこうにタグチ足る私は取りに行かない。
「今日は取りに来ませんねタグチ。せっかくもらえるはずのお給金を取りに来ないなんて、実は庶民の暮らしを覗きにきていたどっかの国の王さまとかんですかね?」
「そんなわけあるか。あんな日本人顔な外人がいたら俺はビックリするよ」
「それもそうか、、、たしかにそうですね。でも取りに来ませんよ?」
「それはあれだよ、事故に遭って今骨折してるんだよきっと。やむにやまれずってやつだな。」
「ああ、なるほど!それはありそうですね。いや、でも僕なら這ってでもお金取りに来ますけどね。そんな程度じゃないですよきっと。ガンとか、そういうヤバイやつですよきっと。さらに言うとご両親もきっともういないんですね。代わりに取りに来てくれる人がいない。。。今までずっと苦労してきたんですよ。学校でもちょっといじめられたりとかあって、お前んち親いないんだろ~とか言われた帰り道一人でブランコにぶら下がってるんですよ。夕暮れで延びてきた自分の影をボーッと眺めてるんですよ。そこに担任がやって来て、肩に手をおいてこう言うんです。「お前は一人じゃない」よかったらうちに住むか?なんて言ってくれるんですよ。それ以来二人で楽しく生活していたんですね。大学まではしっかり通わせてくれたんですけど、大学1年生の冬、先生がくも膜下出血で倒れてしまうんです。あれだけ良くしてくれてた先生ですよ、彼はもちろん先生に良くなってほしくて手術費用を出すことを決意したんですね。でも苦労して大学に送り出してくれた先生の気持ちも無下にできない。両立できるバイトってことでうちに来たんですね。そしてどうにかこうにか費用を捻出していた矢先に、今度は自分が倒れてしまう。それでも俺はまだ働かなきゃってうわ言でいってるんです。そうこうしているうちに一週間、今日になってしまったわけです。」
「(ずずっ)取りに来るのを待とうじゃないか。」
「待ちます!いつまででも待ちます!」

ってな感じになって、

「まだ、取りに来ねえな。」
「俺は涙が止まりません。」

という過程を経て、

「必ず墓参りには行こう」
「飛びっきりのフルーツ買ってきます!」

くらいまでになったとき、おもむろに行くのである。

「給料いただけますか?」

二人は号泣。3人で肩を抱き合って喜びを分かち合うのである。

とか。
電車のなかでにやにやしながら書いている私。
実際に着いたら、「そこのかご」とだけ言われて給与確認書をかごにいれる私。
待たされる私。

いやはや、滑稽で良い。

つうじょうえいぎょう

本日は、極めて寒かった。以上。

 

 

、、、で終わらせるのは未来の自分に対しても未来の読者に対しても(おそらくはいない)忍びないのでもう少し書く。

 

この時期、というかここから春先まで、通勤が極めてつらい。朝起きれないのである。

早く寝たら?と読者の方は思うだろう。そう、そのとおりである。

早く寝たら?僕も思う。こんな、正直自分で後で読み返してクスッとなるかならないかの微妙な書き物をするくらいなら早く寝たら?と。

しかし、そうはいっても私にしては珍しくずいぶん続いてしまっている。

10日続いたらこれは快挙である。つまり快挙なのだ。おお、すごい。これは祝杯を上げなくては!!!

 

お分かりいただけただろうか?

もう一度ご覧いただこう。

 

しかし、書いてる途中で思ったが、自分の腕が徐々に、あくまで徐々にではあるが太くなっているような気がする。ここ最近の筋トレの成果だろうか。それとも鬼のようにハードなバイトの副産物だろうか。いや、理由などどうでもいい。やはり太くて強い腕はいい。早く動けそうな気がする。やばいな、この腕を使って何かがしたい。世界の役に立つような、それでいて、自分のこの力をいかんなく発揮できて、さらにそのことによって自分の認知度が上がるとなおよい、、、やはり格ゲーか!(無限の腕裁きが火を噴くぜ!って腕は固定されてますがな。)早速始めなくては!!!

もういい加減鈍い読者でも気づいたと思う。

何かにかこつけて、だらだら何かを始めようとする生き物なのである。私は。(倒置である。強調している。)

最近はラジオにもはまっている。

AM、FMがスマホで録音できる時代である。(法律的にどうかわからないので詳しいことは割愛)

すばらしい。聴きたい時間になると眠くなる困った性質のおかげで見事に聞きそびれていたものが、あとで通勤途中で聴けるとなることこれはもう快適である。もちろん夜も聴く。

始まるのを待っていると眠くなるが、能動的にアクションを始めると時間が勝手に進むのである。怖いものだ。

 

さて、1時43分である。そろそろ寝なく(ゲームを始めなく)ては。

らいぶ

今日は深いことや、ややこしいことを考えず、ただただありのままの今の感情を残しておこうと思う。

 

一言でいえば、残念 である。

 

本日武道館にてGalileo Galilei 最終公演が行われた。

楽曲も自分の大好きな曲ばかりで、俺のためにセットリストを組んでくれたのか?と思うような内容だった。(もちろんそんなわけはない。メジャーなタイアップ曲を中心に組んだのだろう。たいていは印象も強くテンポ感もいいから好きになるという寸法だ。本当は、Sports とか、パイロットガールとかをやってほしかった。)

彼らの音楽はかなり完成されている。

今日初めて知ったのだが、彼らがデビューしたのが大体高校生(ドラマーは中学生!!!)で活動始まってから5年くらいらしい。(ファンとしてはあまりにあいまいな情報しか持っていなくて申し訳ないが)

えっ同い年!(くらいだろうと思う 4歳年上だった)

自分がドラマーなのですぐにドラムに耳が行き目を持ってかれるが、ものすごく腕が良い。本当に正確できれいなドラミングをする。音は豪快で、それでいて繊細である。

ギター、ベースは詳しいことが分からないので発言は差し控えるが、良い。ぼくにとっては少なくとも必要十分であって文句がない。

3ピースとしてものすごくまとまりがある。

しかしながら、特出すべきはやはり作詞だろう。

ちょっと常人には思いつきそうもない歌詞がごろごろ出てくる。

にもかかわらず情景や、心情がありありと伝わってくるのだ(伝わっているものが伝えたかったものかどうかは知らないが)。

たとえば

 

 

一ページめくる手のひら くちびるでほどいたミサンガ

 

始発電車まばらな幸せ ねえ、今日も変わらない今日だ

 

 

 

である。しかしくちびるで結んだミサンガは、いつの間にか切れていたはずである。

また新たな願いを。でもそれはミサンガなどではなく自分でかなえようとする決意の表れではないだろうか。

そして、夜も明け、また新しい日常が帰ってくる。そこからまた新たな一歩を踏み出すのである。そして、今日もまた変わらない今日がやってくる。しかし、自分は変わっている少しづつ。前を向き、今日を生き抜こうとする覚悟があるのである。

曲名は「青い栞」。聴いたことがない方は一回くらい聴く価値のある曲だ。ぜひ探してみてほしい。

歌詞について言及するときりがないが、あともう一つだけ

 

 

僕の苦手なバイオレットで

 

あえて決めたりする君は今日も

 

予測が不能で 理解をしたくて

 

これにはズキュンときた。

いや、もしかしたら書いている本人には深い思いはないのかもしれない。

でも、少しずつずれている、時として大きく違う人間同士で寄り添って、理解をしようとする。そうしたいと願う気持ちがひしひしと伝わってくる。それが近しい人ならなおのことである。しかし

そう君だけ 君だけなんだ

ああ分かったんだ 追いつけないこと 

 理解しようとどれだけ努力しても、自分の思う相手でしかない。わかりあうことはありえない。それでも自分にとって相手は必要であり、この世にたった一人そう願うのである。

 

はあ、天才。最高。

その才が、本日のライブで最後、もう新しい曲が聴けなくなると思うと切なく悲しい。

日本アーティストではトップの言語表現能力だと思っている。この穴は大きい。

 

 

それでも、彼らには当然解散の自由があるし、「これから」がもしあるのならば応援したい。

ありがとう、またね。バイバイ。彼らが放ったその言葉を。こちらからも敬意をもって贈り返したい。

ありがとう、またね

 

本当どうかしてるみたい。